My Profile

勝部 一之
Katsube Kazuyuki
1958年 大阪府生まれ
1976年 明治製菓株式会社 入社
1981年 創造社デザイン専門学校 卒業
1981年 グラフィックデザイン会社 入社
1982年 パッケージデザイン事務所 入社
1988年 勝部デザイン事務所 設立
デザイナー人生を振り返って・・・。
私のデザイナー人生もたくさんの紆余曲折がありました。ここで少しご紹介したいと思います。
私は最初からデザイナーを目指していた訳ではありません。受験勉強に励む普通の高校生でした。大学合格発表の日、帰宅すると、親戚たちが集まって騒然としていました。普段明るい母親が泣いていました。「どうしたの?」と聞くと、「お父さんの会社が倒産した。」その日は天国と地獄が一度に来た日でした。
父は建設業の会社を経営していました。後には多額の借金が残り、私は大学進学を断念し、働き始めました。半年ぐらい経った頃、私は会社で息苦しさを覚え、自分は組織には向いていないと感じました。そんな時、新聞でデザイン専門学校の入学案内を見つけ、小さい頃から絵がうまかった私は、デザインに賭けてみることにしたのです。2年間必死で働いて学費を貯めました。無事専門学校を卒業した私は、大阪のデザイン会社に就職しました。職場は若い人たちが多く、本当に楽しい日々でしたが、私はここに居て、将来良いデザイナーになれるのだろうか?と思うようになり、もっとレベルの高い環境を求めて東京に行く決心をしました。でもいよいよ東京に行く前週に、博報堂の部長にスカウトされたのです。部長はある有名な先生を紹介してくださいました。それが私の運命を変えた先生との出会いだったのです。それからしんどい修行の日々が始まりました。どうデザインしても否定され、完全に自信を失いました。ただ先生の傍で一流の仕事を見れることが私の喜びでした。やがて5年間の修行期間が終わり、満を辞して独立することにしたのです。
30歳で梅田に事務所を構えました。独立した私には仕事は全くありませんでした。娘が生まれたばかりなので働かなければなりません。中古の自転車を買い、梅田の会社を片っ端から営業して周りました。最初は、会社を起こしたばかりの私は相手にもされません。でも何度も通う内に少しずつ仕事を回していただけるようになったのです。バブル時期と重なり、とても忙しくなりました。年収は修行時代の4倍になっていました。独立したことにより年収も上がりましたが、それよりも嬉しかったのは「自由」になれたことです。好きな仕事を自分の裁量でこなしていく。この上ない満足感と幸福感を感じました。そして2年後に法人化しました。すべてが順調だったのですが、3年目の夏に一番お世話になっていた得意先の課長が辞められ、仕事が全く来なくなりました。資金繰りなどのストレスが溜まり、年末に十二指腸潰瘍を患い2ヶ月間入院しました。「俎板の鯉」状態で、もうどうにでもなれという気持ちでした。退院後、体調をみながら少しずつ仕事をしていきました。「退院するのを待ってたよ」と仕事を回してくださる方々がいらして、本当に助かりました。有り難く、感謝しかありませんでした。その後は会社も持ち直していき、社員も増えていきました。1994年ごろMacが日本に上陸し、いよいよデジタル時代の到来です。仕事が終わってから、アプリを独学で習得しました。毎日終電で帰ったのを憶えています。
1990年代後半に日本は大不況に陥り、多くの大企業が倒産しました。私の事務所も少なからず影響を受けました。緊急融資を受けたことが記憶にあります。
42歳(2000年〜)の時に初めてパッケージデザイン協会の海外視察ツアーに参加しました。その後も参加を続け、欧米のデザイン関連施設を20ヶ所以上回りました。私にとって、この経験がデザイナー人生の第2の転機となりました。日本のデザイン業界とは全く違う世界を目の当たりにしました。観念的な日本とは違い、アメリカではデザインが完全にビジネスとして成立していることに大きなカルチャーショックを受けました。今、振り返ってみると、40代が一番仕事をしたように思います。段々と仕事ぶりも評価され、得意先も徐々に増えていきました。余裕が出てくると気が緩んできます。毎日のように北新地に出かけ、遊びまくりました。数ヶ月後、肝臓が悲鳴をあげ、また入院することに。退院後は気持ちを切り替え、遊びを控えるようになりました。その後はスタッフも成長してくれ、仕事量も格段に増えていきました。
2000年代後半はリーマンショックもあり、日本の景気が急激に後退していく時期でした。特に関西はひどく、多くの事務所が廃業しました(この時期に多くの優秀な先輩が事務所を閉められました)。とともにデザイン料の単価も下がり、今まで以上に多くの仕事をこなさなければ売上が上がりません。いわゆる「貧乏暇なし」状態です。私の事務所はお陰さまで売上の変動はありましたが、何とか乗り越えることができたように思います。この時代、SNSなどのデジタル技術が飛躍的に伸びた時代でした。社会や仕事の環境も徐々に変化していくのを感じていました。この頃から私は少し違う仕事(生き方)をしてみようとおぼろげながら考えるようになります。そして50代後半から、大阪市委託でのインターンシップ事業や専門学校の非常勤講師を通じて、長年培ったきた経験を踏まえ、若い人にデザインを指導する機会を得るようになりました。
私は去年、還暦を迎えました。これからもデザイナーとして益々励んでいきたいと考えています。我が天職としてできうる限り続けていくつもりです。また今後は、私が培ったデザインの技術を後輩の皆さん伝えいく仕事に、徐々に重心をを移していきたいと思っています。来るべきAI時代を迎え、これからデザインの仕事や業界がどうなっていくか想像もつきませんが、見届けていきたいと思っています。
長文、お読みいただきありがとうございました。
これからも更に精進していくつもりです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。